
イメージ画像:ヨムコミ!メディア作成
子供の頃に夢中になったバビル2世を大人になってから読み返してみると、主人公である浩一の冷徹な判断や敵に対する容赦のなさに驚かされることってありませんか。昔はただの正義の味方だと思っていたのに、改めて見るとヨミの方が部下思いで人間味があり、逆に主人公のほうが感情を捨てたマシーンのように見えてしまい、そのギャップに「ひどい」と感じてしまう人も多いようです。また、続編の101やリメイク版のザ・リターナーの感想やネタバレを検索してみると、作画や設定の改変について賛否両論あり、アニメ版の評価も含めて様々な意見が飛び交っています。この記事では、そんなバビル2世にまつわる「ひどい」という評価の正体を、名言やトラウマシーン、そして可哀想と言われるヨミとの対比を通じて深掘りしていきます。
この記事を読むと分かること
- 主人公の浩一が敵役のヨミよりも冷酷だと言われる具体的な理由とエピソード
- ファンの間で語り継がれる「精神的鼻血」が出るほどの衝撃的な名言や戦術
- 続編やリメイク作品、アニメ版に対する「ひどい」という評判の真相と評価
- バビル2世という作品が持つハードボイルドな魅力と大人がハマる理由
「正義のためならここまでやるのか?」という驚きと、「なぜリメイク版は荒れるのか?」という疑問。この記事を読めば、その全てがクリアになり、バビル2世という作品の奥深さに改めて気づくことができるはずですよ。
漫画をお得に読みたい方へ
ebookjapan
では、無料会員登録の後、初回ログインで70%OFFクーポンがもらえます。
1回の購入につき最大500円、6回まで使用可能。
ebookjapanは月額会員制ではないので、解約し忘れでサブスク料金を支払い続けるということはありません。
無料で読める漫画も5000冊以上あるので、多くの漫画をスキマ時間に楽しめます。
▼[PR]無料の会員登録で70%OFFクーポンゲット!▼
※当サイト一押しです
バビル2世が「ひどい」と言われる最大の理由は主人公・浩一の冷酷さ

イメージ画像:ヨムコミ!メディア作成
主人公であるはずの浩一が、なぜ悪役以上に恐ろしいと言われてしまうのか、その具体的な行動や性格について深掘りしていきます。
見出しクリックで記事に飛べます
敵であるヨミの方が部下思いで優しいという逆転現象

イメージ画像:ヨムコミ!メディア作成
『バビル2世』を大人になってから読み返した多くの人が、まず衝撃を受けるポイント。それが、敵対組織のボスであるヨミの異常なまでの人間臭さと部下思いな性格、そしてそれとは対照的な主人公・浩一の徹底したドライさです。ここ、すごく気になりますよね。
昭和の少年漫画、特にヒーローものにおける悪の組織といえば、冷酷非道が相場です。作戦に失敗した部下は即座に処刑されたり、あるいは最初から使い捨ての駒として扱われたりするのが「お約束」でした。読者は「なんてひどい奴らだ!」と義憤に駆られ、それを倒す主人公にカタルシスを感じるわけです。
ところが、ヨミ様は違います。彼は世界征服を企む悪の親玉でありながら、その組織運営は驚くほど「ホワイト」で、カリスマ性に溢れているのです。例えば、部下がバビル2世の攻撃で危機に陥れば、危険を顧みず自ら超能力を使って救出に向かいます。また、自らの作戦ミスで多くの部下を死なせてしまった際には、本気で涙を流し、「すまない…」と彼らの死を悼むのです。部下たちもそんなヨミ様を心から慕っており、組織全体に奇妙な連帯感さえ漂っています。
一方で、正義の味方であるはずの浩一(バビル2世)はどうでしょうか。彼は、自らの忠実な「三つのしもべ」であるロプロス、ポセイドン、ロデムに対して、労いの言葉をかけることはほとんどありません。彼らにとって浩一は絶対の主人であり、浩一にとっても彼らは強力な「手駒」です。「行け!」「やれ!」「破壊せよ!」と短く的確な命令を下すのみ。もちろん、しもべたちはロボットや合成生物なので、人間のような感情はないのかもしれません。しかし、それにしてもヨミとの対比が強烈すぎるのです。
浩一の行動原理は常に合理的で、目的達成のために最適化されています。そこに「情」が入り込む余地は極めて少ない。読者は読み進めるうちに、「あれ? どっちが人間味のある行動をしてるんだっけ?」「もしかして、本当に怖いのはバビル2世の方なんじゃ…」と混乱し始めます。この善悪の倫理的な逆転現象こそが、長年にわたって「バビル2世は(主人公が)ひどい」と言われ続ける根本的な原因であり、同時にこの作品の独自の魅力を形作っている最大の要素なんですね。
狂った動物への慈悲ゼロ!ウイルス編の衝撃的な名言

イメージ画像:ヨムコミ!メディア作成
浩一の人間離れした冷徹さが極まったシーンとして、ファンの間で伝説となっているのが「宇宙ウイルス編」でのエピソードです。ヨミが宇宙から持ち帰った未知のウイルスを地球上にばら撒いてしまいます。このウイルスに感染した犬や家畜、野生動物たちは、理性を失って凶暴化し、人間を見境なく襲い始めるという、まさにパニックホラー的な展開となります。
街はパニックに陥り、事態を重く見た政府は自衛隊を出動させます。最終的には、ヘリコプター部隊による上空からの機銃掃射で、感染した動物たちを物理的に「駆除」することで事態を収束させることになります。罪のない動物たちが人間の都合で狂わされ、そして殺されていく。その光景は凄惨そのものです。
普通のヒーロー漫画の主人公であれば、この状況にどう反応するでしょうか。きっと、「くそっ、ヨミのせいで罪のない動物たちが…!」と怒りに震えたり、「すまない…こんなことしかできなくて」と犠牲になった命に対して涙を流したりするでしょう。読者もそういった「人間らしい」反応を期待します。
しかし、バビル2世・浩一は違います。彼は、銃弾に倒れ、息絶えていく動物たちの死骸を見下ろしながら、通信機越しにヨミに対して冷然とこう言い放つのです。
いや、言い方! と思わずツッコミを入れたくなりますよね。彼のこの言葉には、犠牲となった生命への憐憫や、避けられなかった悲劇に対する苦悩といった感情は一切感じられません。あるのは、この状況を引き起こした敵であるヨミに対する、徹底した侮蔑と精神的な攻撃のみです。
彼は、哀れな動物たちの死に様すらも、敵の精神を揺さぶり、優位に立つためのレトリック(修辞)として利用したのです。このシーンは、多くの読者に「精神的鼻血」が出るほどの衝撃を与えました。「この主人公には、僕らが持っているような『命への素朴な慈しみ』が欠落しているのではないか?」という、底知れぬ恐怖を抱かせたのです。正義のためとはいえ、その精神性はあまりにも過激で、「ひどい」という言葉でしか表現できない領域に達しています。
F市攻防戦で見せた悪魔的な「人質」作戦の全貌

イメージ画像:ヨムコミ!メディア作成
さらに浩一の戦術的な「ひどさ」が遺憾なく発揮されたのが、F市にあるヨミの秘密基地攻略戦です。この戦いで彼が見せたのは、力押しだけではない、狡猾極まりない頭脳プレーでした。
浩一はまず、自衛隊と協力して地上で陽動を行い、その隙にテレキネシスを使って地下の巨大な水道管を破壊します。これにより、F市の地下に張り巡らされたヨミの秘密基地は、またたく間に濁流に飲み込まれていきます。まさに完璧な水攻め作戦です。
基地の地下深部には、まだ多くのヨミの部下たちや戦闘員が取り残されていました。彼らは退路を断たれ、刻一刻と水位が上がる中で溺れ死ぬ寸前の状態に陥ります。ここで浩一は、正義の味方にあるまじき、とんでもない行動に出ます。なんと、「溺れかけている敵の部下たち」を実質的な人質にとって、ヨミを脅迫したのです。
彼は、焦るヨミに対して冷静に語りかけます。「お前が自分の強大なエネルギーを使って水を引かせれば、部下たちは助かるかもしれない。だが、このまま私と戦い続ければ、時間を浪費し、部下は全員溺れ死ぬことになるぞ」。これは、上記でも触れた、ヨミが「部下を決して見捨てられない情に厚い性格」であることを完全に計算に入れた上での心理攻撃でした。
| 状況 | ヨミの心理・行動 | 浩一の心理・行動 |
|---|---|---|
| 水攻めによる部下の危機 | テレパシーで部下の断末魔を聞き、激しく動揺する。 | ヨミの動揺を冷静に観察し、それを交渉材料として利用する。 |
| 究極の二者択一 | 「バビル2世を倒すか」「部下を救うか」のジレンマに苦しむ。 | どちらに転んでも自分に有利になるよう、冷酷な選択を迫る。 |
| 結末 | 苦悩の末、自らのエネルギーを使い果たして部下を救う道を選ぶ。 | 敵が消耗したのを見て、不敵な笑みを浮かべ、勝機を確信する。 |
結果として、ヨミは部下を救うために膨大なエネルギーを消費し、戦闘続行が不可能なほどに弱体化してしまいます。浩一はその隙を逃さず、撤退していくヨミを追い詰めるのです。この「敵の持つ人間としての良心を利用して勝つ」という、あまりにも合理的すぎる戦い方は、まさに悪魔的。「勝てば官軍」とはいえ、読者は浩一の圧倒的な強さに痺れると同時に、その底知れぬ冷徹さに戦慄せずにはいられません。
戦闘中に見せる不敵な「ニヤリ」がトラウマ級に怖い
バビル2世の戦闘シーン、ひいては作品全体のトーンを象徴しているのが、主人公・浩一が時折見せる独特の表情です。特に、激しい戦闘の最中、敵が攻撃を躊躇したり、自らの策が見事にハマったりした瞬間に見せる「ニヤリ」という笑み。これが本当に、トラウマ級に怖いのです。
通常、少年漫画の熱血主人公がバトル中に笑うときというのは、強敵とのギリギリの戦いを楽しむ「ワクワク感」の表れであったり、仲間との絆を力に変えて勝利を確信した「自信」の笑みであったりすることが多いですよね。読者もその笑顔を見て、「いけ!」「負けるな!」と感情移入します。
しかし、浩一の笑みは質が違います。それは完全に、獲物を追い詰めた「狩人」の目であり、計算通りに事が運んでいることを確認する冷徹な技術者の表情なんです。「かかったな」「愚かな奴め」と言わんばかりの冷ややかな笑み。そこには相手への敬意や、熱い感情の交錯などは一切なく、ただ目の前の障害物を効率的に排除するプロセスの進行を確認するような、無機質な冷たさがあります。
子供心にこの漫画を読んでいた当時の読者は、「この人、本当に僕らの味方なのかな…?」「怒らせたら一番怖いのはこの人なんじゃないか」という、得体の知れない不安を感じたことでしょう。
そして極めつけは、全てのエネルギーを使い果たし、老人のように衰弱して横たわるヨミに対して、一切の躊躇なく、無表情でとどめの一撃(エネルギー衝撃波)を放つシーンです。あそこでの慈悲のなさは、彼の「ひどさ」の象徴であり、同時に「悪を絶対に許さない」という鋼の意志の表れでもあります。この甘さのない描写こそが、バビル2世という作品を伝説にしているのです。
続編『その名は101』での救いようのない展開と戦術
横山光輝先生自身の手によって、原作漫画の正統な続編として描かれた『その名は101』。この作品では、主人公・浩一の冷酷さに加えて、敵対組織(CIA主導の超能力者集団)の戦術も輪をかけて「ひどい」ことになっています。もはや牧歌的な超能力バトルの枠を超えた、ガチで殺伐とした軍事サスペンスの様相を呈しているのです。
この作品での敵は、学習能力が非常に高く、バビル2世(作中ではコードネーム「101」と呼ばれる)を抹殺するためなら手段を一切選びません。最初の刺客が一対一の戦いで敗れると、次からは「タイマンは悪手である」と即座に判断し、なりふり構わぬ集団戦術に切り替えます。
その戦術のえげつなさを象徴するのが、あるエピソードでの出来事です。敵の襲撃を受けて負傷し、救急車で搬送されることになった浩一。普通なら、ここで一時休戦となったり、病院での襲撃イベントへ…となったりする展開を想像しますよね。
しかし、敵の行動は予想の斜め上を行きます。なんと、浩一が乗っていると思われる救急車ごと、崖から突き落として爆破炎上させるという、常軌を逸した攻撃を仕掛けてくるのです。当然、無関係な救急隊員や運転手は巻き添えで死亡します。敵は「バビル2世なら、その程度の怪我で死ぬはずがない。確実に仕留めるにはこれしかない」と、冷徹に判断した結果の行動でした。
読者としては「さすがに一般人を巻き込むのはライン越えでしょ…」とドン引きするような理不尽な展開。しかし、そんな絶体絶命の状況でも、事前に察知して脱出していた浩一は、眉一つ動かさずに反撃を開始します。この、敵も味方も容赦がない、救いのない殺し合いの連鎖。それが『その名は101』における「ひどい」の正体であり、一部のファンからカルト的な支持を集める理由でもあるのです。
リメイクやアニメ版のバビル2世は本当に評判がひどいのか?

イメージ画像:ヨムコミ!メディア作成
原作以外のメディア展開作品、特にリメイク漫画やアニメ版に向けられた批判的な声と、その背景にあるファンの心理について、徹底的に解説します。
見出しクリックで記事に飛べます
『ザ・リターナー』の作画や設定改変に対するファンの評価

イメージ画像:ヨムコミ!メディア作成
2010年代に連載が開始された野口賢先生による『バビル2世 ザ・リターナー』は、現代社会を舞台に、蘇った浩一の新たな戦いを描いた意欲作です。しかし、Google検索で「バビル2世 ひどい」と入力すると、この作品に対する辛辣な意見が多くヒットすることからも分かる通り、往年の原作ファンからは賛否両論、あるいは厳しい評価を受けることが多い作品となってしまいました。
その最大の要因として指摘されるのが、作画スタイルの劇的な変化と視認性の問題です。原作の横山光輝先生の絵柄は、非常にシンプルで無駄な線を削ぎ落とした、読みやすく静的な迫力を持つものでした。対して『ザ・リターナー』は、濃密な書き込みを多用する劇画タッチを採用しています。このスタイル自体は迫力があるのですが、こと戦闘シーンにおいては「画面がごちゃついていて、何が起きているのか瞬時に理解しにくい」という感想が少なくありません。特に、超能力による破壊描写が爆炎や瓦礫のディテールに埋もれてしまい、原作特有の「スマートな強さ」を感じにくくなってしまったのです。
さらに、ストーリーや設定の大胆な改変も議論の的となりました。本作では、アメリカ軍との政治的な駆け引きや、軍事兵器との戦闘に多くのページが割かれています。それだけでなく、物語の中核に「クトゥルフ神話」を彷彿とさせる異形の怪物や、旧支配者のような概念が持ち込まれました。
- 「バビル2世vsヨミ」の超能力合戦が見たいのに、怪獣映画のようになってしまった
- 政治劇や米軍の描写がリアルすぎて、サイキックアクションの爽快感が薄れた
- 原作の持つ「無国籍なSF冒険活劇」の雰囲気が、現代的な「泥臭いサバイバル」に変質してしまった
これらの要素は、現代的なリアリティを付与するための試みだったと思われますが、「俺たちの見たかったバビル2世はこれじゃない(ひどい改変だ)」という、古参ファンの拒絶反応を招く結果となってしまいました。とはいえ、ヨミとバビル2世が共闘するような展開など、リメイクならではの熱いIF展開を評価する声も一部には存在します。
2001年版アニメが「無機質すぎる」と批判された背景
アニメ化作品に関しても、評価は一筋縄ではいきません。特に2001年に放送された深夜アニメ版『バビル2世』は、視聴者の間で評価が真っ二つに分かれる、いわくつきの作品として知られています。ここでの「ひどい」という評価は、作画崩壊といった技術的な問題よりも、演出方針があまりにもドライで感情が希薄だったことに向けられています。
このアニメ版は、原作の持つハードボイルドな世界観を忠実に、あるいは過剰に再現しようと試みました。その結果、キャラクターたちは極端に無口で無表情になり、BGMも環境音に近い静かなものが多用されました。主人公の浩一はもちろん、三つのしもべたちもただ淡々と敵を破壊するマシーンのように描かれ、そこに「熱気」や「叫び」といった少年アニメ的なカタルシスはほとんど存在しませんでした。
視聴者からは、「まるで作業を見せられているようだ」「キャラクターに心が感じられない」「冷たすぎて感情移入できない」といった批判が相次ぎました。原作の浩一も確かにクールですが、アニメ版はそれを通り越して「無機質(ロボット的)」に映ってしまったのです。脚本を担当したのが『サザエさん』や『ドラゴンボール』などで知られるベテラン・雪室俊一氏であったため、計算され尽くした演出ではあったはずですが、その方向性が当時のアニメファンの求めていた「熱さ」とは乖離してしまっていました。
また、構成上の問題も「ひどい」と言われる要因です。全39話のうち、第26話で物語がいったん完結してしまい、残りの13話が蛇足的なオリジナル展開となってしまったことや、ロプロスの色が原作の小豆色からメタリックゴールドに変更されるなどの細かい改変も、原作原理主義のファンにとっては受け入れがたい要素でした。ただ、逆に言えば、この「媚びない硬派さ」こそが最高だというコアなファンも存在しており、評価が定まりにくい作品でもあります。
原作漫画とリメイク作品の決定的な違いとは
ここまで見てきたリメイク作品やアニメ版への批判を通して、原作漫画『バビル2世』が持っていた唯一無二の魅力が逆説的に浮かび上がってきます。原作とこれら後発作品の決定的な違い、それは「余白の美学」と「説明の省略」にあるのではないでしょうか。
横山光輝先生の原作漫画は、驚くほど台詞が少なく、説明も最小限です。浩一が何を考え、どう感情を動かしたのか、モノローグで長々と語られることはありません。読者は、彼のわずかな表情の変化や、沈黙の中から、「怒り」や「悲しみ」、「孤独」を読み取る必要がありました。この「語りすぎない」スタイルこそが、読者の想像力を刺激し、浩一というキャラクターに底知れぬ深みとカリスマ性を与えていたのです。
対して、リメイク作品や近年の映像作品は、どうしても「分かりやすさ」を優先するあまり、設定を言葉で説明しすぎたり、派手なエフェクトや過剰なドラマで画面を埋め尽くしたりしがちです。また、現代の読者に合わせようとして、主人公に人間的な迷いや葛藤(ウジウジした部分)を追加してしまうこともあります。
しかし、バビル2世のファンが求めているのは、そういった「足し算の演出」ではありません。必要なのは、研ぎ澄まされた「引き算の美学」です。ただ静かに立ち、圧倒的な力を行使する。そのシンプルさの中にこそ、本物の恐怖とカッコよさが宿る。原作漫画が持つこの絶妙なバランスを再現することの難しさが、リメイク作品が「ひどい(コレジャナイ)」と言われてしまう最大の要因なのかもしれません。
それでも愛されるバビル2世のハードボイルドな魅力
ここまで「ひどい」要素や批判的な側面ばかりを挙げてきましたが、それでも『バビル2世』が半世紀以上にわたって読み継がれ、愛され続ける理由は明確です。それは、主人公・浩一が体現する「甘えのない徹底したプロフェッショナリズム」に他なりません。
現代のエンターテインメント作品、特に「なろう系」や少年漫画では、主人公は悩み、傷つき、仲間に励まされ、承認欲求を満たされながら成長していく姿が描かれることが多いです。読者はそこに共感し、癒やしを感じます。しかし、浩一は違います。
- 最初から最強の力と精神力を持っている(修行パートなし)
- 誰にも理解されず、感謝もされなくても、文句ひとつ言わない
- 孤独を嘆くことなく、ただ淡々と自分のやるべき使命を果たす
彼は、宇宙人(バビル1世)の遺産を受け継いだその瞬間から、普通の少年としての幸せを捨て、たった一人で世界を守り抜く覚悟を決めています。そこには、「褒められたい」とか「分かってほしい」という甘えは一切ありません。敵に対して冷酷に見えるのも、感傷に浸っていては世界を守れないという、極めて高度な責任感の裏返しなのです。
この孤高の姿は、社会の理不尽な荒波に揉まれ、誰にも弱音を吐けずに戦っている大人の読者にとって、ある種の究極の理想像であり、痛烈な憧れでもあります。「ひどい」と言われるほどの強さと冷徹さは、彼が背負っている十字架の重さの証明です。だからこそ、私たちは大人になった今でも、砂漠の塔に一人住む彼の姿を思い出し、胸を熱くするのではないでしょうか。
総括:バビル2世の「ひどい」強さは面白さの裏返しである
今回の記事で検証してきた通り、「バビル2世 ひどい」という検索ワードの正体は、作品の質の低さを指摘するものではなく(リメイク版の一部を除く)、主人公・浩一があまりにも強烈な個性と、時代を超越したリアリズムを持っていることへの畏敬の念だと言えます。
- 「ひどい」と言われる主因は、主人公・浩一の徹底した冷酷さと合理主義にある
- 敵役のヨミが部下思いで人間味があるため、相対的に主人公の非情さが際立つ
- ウイルス編での「みにくい姿」発言は、ヒーローらしからぬ衝撃的な名言である
- F市攻防戦の人質作戦や戦闘中の不敵な笑みは、読者にトラウマ級の印象を残す
- 続編『101』では敵の戦術も過激化し、救急車爆破など容赦ない展開が連続する
- リメイク版『ザ・リターナー』は作画や設定の大胆な改変により賛否が分かれる
- 2001年版アニメは演出がドライすぎて「無機質」「冷たい」と評価されがち
- 浩一の孤高の戦いと甘さのない判断力は、大人の読者にこそ響く真の魅力である
漫画をお得に読みたい方へ
全巻一気読みしたい!でも予算が…という方へ
この作品を全巻揃えるなら、「買うほどお金が戻ってくる」DMMブックスが最強です。
1万円分買うと、5,000円分のポイントが返ってくる!? 魔法のような「高還元ループ」の仕組みを解説しました。
最後に
今回は、バビル2世がなぜ「ひどい」と言われるのか、その理由について解説しました。
主人公の浩一が見せる容赦ない冷酷さは、実は作品のリアリティを支える重要な要素であり、その孤高のカッコよさを改めて理解いただけたのではないでしょうか。
リメイク版やアニメ版の評価も気になるところですが、昔の漫画ならではの「手加減なし」のハードな世界観に触れたい方は、ぜひ改めて原作漫画を読み返してみてください。
大人になった今だからこそ、浩一のドライで強い生き様に、子供の頃とは違った感動を覚えるはずです。
当ブログでは、他にも懐かしい名作漫画の深掘り記事を多数掲載しています。もし「昔の漫画はやっぱり面白いな」と感じた方は、漫画カテゴリーの記事一覧もぜひチェックしてみてください。
こちらの記事もおすすめ
漫画をお得に読みたい方へ
ebookjapan
では、無料会員登録の後、初回ログインで70%OFFクーポンがもらえます。
1回の購入につき最大500円、6回まで使用可能。
ebookjapanは月額会員制ではないので、解約し忘れでサブスク料金を支払い続けるということはありません。
無料で読める漫画も5000冊以上あるので、多くの漫画をスキマ時間に楽しめます。
▼[PR]無料の会員登録で70%OFFクーポンゲット!▼
※当サイト一押しです


